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2016年4月 2日 (土)

東日本大震災から5年  ~ 消防団、消防署員から見た震災 ~

早いもので東日本大震災から5年が経った。先日、ニュースで被災地の復興状況が約50%だと報告されていたが、本当に被災地の人々が望む方向に復興が進んでいるのだろうか。震災前、美しかった浜には高い防潮堤(というか、これはもう防潮壁)の建設が進んでいる。「海の街」が「壁の街」へと変貌しようとしている。

先日テレビで「消防隊だけが撮った0311」というドキュメント番組が放送されていた。そして当時の悲惨な状況が、助ける側からの目線でまとめられていた。私ももう引退はしたが14年間地元の消防団で活動していた。そういう背景もあり、今回たまたま被災地で様々な辛い経験をされた消防団の皆さん、そして消火や救助のプロである消防署の皆さんの様々な活動を目の当たりにし「もしも自分がその場にいたら…」という気持ちでその番組を拝見させていただきました。以前にも書かせていただいたように、私自身は福島県の被災地の中心部には行っておらず、そんな私が書くのはおかしいかもしれませんが、毎年3月11日のこの日に私自身が無事でいられる事に感謝し、また復興に関し何もできていない自分への戒めの意味も込め「伝え、そして忘れない事」で微力ながら被災地の皆様方の気持ちを感じる事が出来ればと思いペンを執りたいと思います。

5年前に被災地で地震が発生し津波警報が出た時、最初に消防団員が行なった仕事は何だったと思いますか?それは防潮堤の水門を閉める事でした。当時、この作業に向かった多くの消防団員がそのまま波にさらわれ帰らぬ人となりました。また消防車で高台に向かいながら、必死にスピーカーで高台へ避難するよう促しながら消防車を走らせている最中に災害にあわれた団員もいたそうです。その結果から、消防団長も「まずは自分の命を守るという事を徹底さるべきであった」と嘆かれていました。

また、漁船用燃料の入った大きな貯蔵タンクから漏れた燃料に火がつき、津波火災となり火の手がどんどん山の斜面に近づいてきました。しかし、停電で水道が出なかったため市街地の消火栓は使えず、山の上のため池などから人の手だけでホースを数キロ伸ばし、山の斜面に建つ民家ギリギリのところで火を食い止めた話。また、たまたま生き残った山麓の地区の消防団が市街地に下った際、瓦礫の中の数えきれない遺体の山を目にし、恐怖で震えがとまらなかった事。それでも遺体や遺留品の捜索にあけくれる毎日。しかも捜索がひと段落してやっと家に戻ると、奥さんが子供を守るように息絶えていました。もちろんお子さんも帰らぬ人となっていました。それでもまた数日後に捜索に出なくてはならない。知り合いを亡くした人はその人の笑顔を忘れてしまったそうです。しかし捜索で見つかった故人の笑顔の写真を見てようやく思い出す事ができました。

身元不明の遺体がどんどん増えていきます。家族を捜索中の人も、最初は「生存」を…しばらく経つと「遺体でもいから」…そして最後には「遺留品だけでも」と再会を祈る形も変わってきます。

電気も止まり、雪もちらつく寒い日。ましてや波をかぶってしまった方は助かってもこごえるほど寒かったはず。病院のような頑丈な建屋も低い階は津波にやられ、運よく逃げられた方も最上階付近にいたそうですが、寒さをしのぐ事ができずカーテンを引きちぎり、弱っている患者さんから体に巻きつけていたそうです。しかも一番辛かった事は、外部からの連絡が一切なく孤立した状態だった事。自分たちはいつここから助け出されるのかさえわからない心細さというのは言葉に言い表せなかったと言っていました。しかしその場所へ最初に到着したのも、危険をかえりみずに瓦礫で道を作り捜索に来た消防団員でした。その瞬間、医師や患者は「私達は決して一人ぼっちじゃない」という気持ちになり、互いに抱きしめ合ったそうです。

ここまで色々と消防団員の行動を紹介してきましたが、そのほとんど全ての判断や行動は小さな消防団や消防団員に委ねられていました。それは消防本部、そして消防署も壊滅的被害を受けており、指示系統がほとんど機能していなかったためです。しかし「人を救えるのは人だけ」というひとりひとりの熱い想いが行動を起こし、限られた時間の中で信じられない成果を生みだしました。

また、更に困難を極めたのが福島原発の原子炉の冷却のための放水活動でした。東京消防庁の精鋭たちが集められ現地へ派遣。放射能の線量計を腰に付け、海から原子炉までのホースの通り道を探ります。もちろんその間、線量計は鳴りっぱなし。計器類は車外では30分しか作業できない値を示しており、本当に時間との闘いだったそうです。しかしその時「本当に上から水をかけて意味があるのか」という批判的な報道もあり、実は私も「焼石に水では…」と思っていました。現場を知りもしない人間がそんな事を言う権利があるのか…今改めて反省しました。

被災地では現在も毎日150トンの汚染水が増え続けています。また高濃度の放射能焼却灰の入った黒い袋の山が仮設焼却施設に置き去りにされ、いつ稼働するかもわからない中間管理施設への移動を待っています。新たに避難指示が解除された地区もありますが、元の場所へ戻らないと決めている人が半数以上。毎晩、津波に流される夢を見てうなされている方々。はたして復興作業が進んでもひとつの居住地域として生活が成り立つのでしょうか。しかし、そんな中でも被災地の方は前を向いて一歩ずつ進まなくてはならないのです。

原発も動かしたり止めてみたり。そんな事より、被災地のためにもう一度誰かが復興の舵取りをしてあげる必要があると思います。単なる傍観人の一人でしかない私ですが、これからも毎年3月11日午後2時46分には黙とうをし、命を落とした多くの犠牲者のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈りたいと思います。「奇跡の一本松」の写真を添付します。

Photo_5

生産者番号 56番 八代弘樹

 


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コメント

 山の上のため池などから人の手だけでホースを数キロ伸ばし、…ものすごいことですよね。みんなの力で出来たこと。どれだけの手が、私たちが知らない間に活躍したのか…。

 改めて、震災で亡くなられた方々、人々を助けようと自らの命を犠牲にされた方々へのお祈りを。多くの人々の努力である今の上に、私たちは生きているということを忘れないようにしたいです。

投稿: 萩原 祐美子 | 2016年4月 5日 (火) 04時50分

多くの死者を目にした方の心の傷は一生消えないと思います。

また、被災地の方の想いはひとりひとり異なります。そして地元に対する愛と家族に対する愛の狭間で、地元を離れるか迷っている方も大勢いると思います。離れてしまったご年配の夫婦、そして若夫婦とそのお子さんがまた一緒に暮らせる日が一日でも早く来る事を祈りたいと思います。

投稿: 八代弘樹(56番) | 2016年4月12日 (火) 12時13分

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