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2020年1月28日 (火)

感謝の集いでかんがえさせられたこと

                        60番 江原重人

 

 1月19日(日)に三芳の山名共同館で「感謝の集い」が開催された。「食べる会」「生産グループ」合わせて約100名で、場内は満員になり、小さい子どもさんの元気な声も響いていた。

弁当は、房総郷土料理は外注したが、三芳野菜料理は手づくりで、「食べる会」の皆様に前日から泊りで、たくさんのおいしい料理を作っていただいたご苦労には本当に頭が下がります。どうもありがとうございました。

 毎年11月に開催される「新穀感謝祭」が昨年中止になった原因は、9・10月の台風、豪雨だが、さらにその原因はとなると、「地球温暖化」を抜きには語れないだろう。

この原稿を書いているたった今も、今冬の異常な雪不足のため雪祭りやスキー場の関係者の悲鳴が全国各地であがっている。考えてみれば、「地球温暖化」という言葉を初めて耳にしたのはかなり前のような気がする。

しかしこの現象をどこか他人事のような受け止め方をしてきた人が、自分も含め結構多かったのではないだろうか。

 朝起きて食事をとり、仕事をして自宅に帰り、眠るという生活の基本的枠組みが維持されていれば、それほど危機感は感じられないかもしれない。また問題があることを知ってはいても見て見ぬふりをすることも可能だ。

 しかし、当たり前の生活が当たり前にできなくなるケースが増えてくると、人は危機感を持ち始めるのだろう。だからと言って現状を短時間で劇的に改善することなどできるはずがない。

18世紀の産業革命からの積み重ねがあって、今があるわけだから、元に戻そうと思えば、気の遠くなるような時間が必要だろう。いま手にしている便利さを手放す覚悟も必要となれば、なおさら目をそむけたくなる。

そして人は急激な変化を強いられるのを嫌う。そもそも急に変わることなどできないだろう。だから、知識と意識が交互に足を前に出しながら、少しずつ少しずつ進んでいく。

その歩みのあまりののろさに耐え切れず、投げ出してしまえば、そこですべては終わりだ。逆にスピードアップするためにギアを無理矢理チェンジしても、それは必ず失敗する。

それは今までの歴史が証明している。結局のところ、我々は問題意識を持ち、身近な人、顔の見える人の幸せを願いながら、楽しく、無理せず生活して行くより他ないのだろう。

そしてそのテンポは、畑で野菜が生育するテンポとまったく同じような気がする。

 そんなことを考えさせられた「感謝の集い」でした。

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